ウイーン少年合唱団の来日公演と、20世紀最高のバレリーナと言われたマイヤ プリセツカヤさんが亡くなったニュースを見て気持ちがキューっとなり、記憶が一気に40年以上前に呼び戻されました。
私の通っていた所沢市立清進小学校は、当時合唱クラブの強豪校でした。
顧問の先生がそれはそれは厳しくて。。。。
細かな記憶は定かではないのですが、自分はその厳しさに落ちこぼれてついて行けなかった方に入ってしまいましたっけ。
そんな頃、初めて『ウイーン少年合唱団』の名前を聞きました。
クラブを続けていた友達が来日公演に行ったそうで、その感動ぶりを「響きで歌っていた、響きで聴かせる」としきりに言うのです。当時の私は『響きで歌う、聴かせる』の意味がよく分かりません。でも友達の訴えるような説明に「相当な感動を知って伝えたいんだな」ということは確かに感じました。
今年は来日60周年記念公演ということで、これまで以上にニュースになっていますね。
友達が熱心に語っていた教室の場面、色あい、匂いまではっきり思い出されます。
同じ頃、同級生にバレエを習っている子がいました。当時は今よりもまだまだバレエという習い事は『特別』でした。
お金持ちというか、お嬢様というか。。。
その友達の口から『マヤプリセツカヤ』(当時のニュースでは確か”マヤ”と発音していた記憶があります)の名前を初めて聞きました。
子どもでしたし、ロシア風の外国語の名前にピンと来ず「カクカクした言いづらい名前だな」なんて思ったことを覚えています。
多分、来日公演などをしていたのでしょう。ほどなくニュース映像でプリセツカヤさんの踊る場面を観ることができ釘付けになりました。
両手を横にして羽根のように柔らかく動かしながら上下させ、優雅に舞台上手から登場するところでした。それはまるで”つくりもの”のように滑らかな動きで、子ども心に衝撃でした。間接が普通の人の何倍もあるように見えました。
どちらも40年以上前のできごとですが、なぜかこのふたつは鮮明に記憶の引き出しに残っています。
2つのニュースでいろいろ思い起こしています。
『響きで歌う、聴かせる』と言われてよく分からなかった当時の自分は、今の自分を見て苦笑いでしょう。
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詩と作文が好きでした |
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